感銘を受けた『中学1年の社会科授業』

遠い遠い昔の、私が中学1年生
だった時の忘れ得ぬ記憶である。

社会科担当の男性教諭が
授業開始の初めに、黒板に白の
チョウークで一本の長い横線を描いた。

何が始まるのかと
凝視していると、おもむろに解説が始まった。

「これは海の水平線である。

見渡す限りどこにも
島もなければ何もない大海原である。

そこに一枚の木の板が浮かんでいる。

その一枚の板は、人間が
一人ならば、これに掴まって
いれば浮かんでいることができる。

人間が二人だと沈んでしまう。

いま船が難破して二人
の人間が板に掴まっている。

このままだと二人とも沈んでしまう。

もし一人だったら、その板に乗って
漂流していたら助かるかもしれない。

この時、二人の人間が
どのような行動をとるであろうか?。

答えは出さなくても良い、
どうなるのだろうと考えるだけで良い。

この二人が見ず知らず
の二人の場合と親子であった
場合では、様子が変わってくる
ことも併せて考えてみる必要がある。

これは、
人間の性善説・性悪説
というもので、どこまで行って
も答えの無い難解な問題である」。

その教諭は
そこまで話して、黒板に描いた
一本のラインを黒板消しで消去した。

衝撃的だった。

初めて教員らしい教員
に出会ったと感銘を受けたのだった。

私は、この時の衝撃を
忘れることができなかった。

その後もずっと事あるごとに
思い起して考え続けた。

そして、この時の感銘が私の
人生を決定づけることにもなったのだ。

何としても、この性善説と性悪説を
極めなければならないと思ったのだ。

そして、長い長い年月
が流れて私が辿り着いたのは、
「心だに 誠の道に叶いなば 祈らずとても神や守らん」
の境地であった。

そして今、
新型コロナウイルスによって、
世界中の人類がその脅威に晒されている。

私もいま毎日のように、
濃厚接触不可避の学童保育
の日々を続けて2ヶ月目を迎えている。

さすがに心身ともに疲れを禁じ得ない。

だが今こそもう一度、
誠の道を見つめるときだと
沈思黙考の日々を送っている。

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