花と新型コロナウイルス

令和2年という年のはじまりは、
招かざる新型コロナウイルスという
疫病によって、悩ましいものとなった。

我々日本人にとって
最も待ち焦がれる、春を迎え
桜花爛漫の喜びを台無しにする、
厄介者の疫病神やくびょうがみというものである。

加えて、今年は暖冬
という副産物のお陰で、
桜の開花が平年より早い様子である。

その為に、
新型コロナウイルスの終息を待たず
に、見事な花を咲かせようとしている。

勿体もったいないと言うか、健気けなげ
言うか何とも複雑な心境である。

しかし、嘆くばかりでは
何も始まらないので、この際
「花」について考えてみよう。

周知の通り、我々日本人
にとって「花」といえば桜である。

そして花見といえば
ソメイヨシノであるが、その他
にも大和心の譬えになった山桜も
あれば、一足遅れて咲く八重桜もある。

そして、暖かい春になれば百花
繚乱であるのに、なかでも特に桜の
花に見事さを感じさせられるのである。

それは日本人の
「生き方・生き様」
に重ね合わせて、「潔いいさぎよい」様子
が見事だと心にうつるからであろう。

その美しさと清々しさ
に詠嘆の言葉を発し、何の遠慮
もなく感慨にふけって眺めるのである。

日本人でも外国人でも、花の
美しさを愛でることについて
は共通と思われるが、とりわけ、
日本人の花を心で受け止める感覚に
は、特異なものが存在すると思われる。

日本の家々の庭には花壇が
あったり「生け花」という文化もある。

更には、花が持っている
顕著な特性に「栄枯盛衰」がある。

花には生命があり、萌えたり盛り
になったり、そして衰えて消えていく。

その移ろいは、まさに人生
さながらと受け止められる。

日本の神話のなかに、伊邪那美いざなみみこと
火の神を産んで焼け死んだあと、この神の
霊魂を祭るには、花の時は花をもって祭る

と『日本書紀』に記されている如く、
日本民族にとって、
死者の霊を弔うのに花を
もって祭るということは、かなり
古くからの慣行だったと思われる。

そして亡き人の霊を、
あとに遺された家族や親族たち
の守護霊として、やがて守護神
にまで高めるために、折に触れ祖霊
を招いて御霊祭を行なうのである。

その御霊祭りには
花を供えて花が咲き匂う
が如く、守護霊に活力をもたせたい
と願う呪術的な祈りの行為なのである。

これに対して、
普通の神祭りに招かれる
神霊には生死というものが無く、常盤ときわ
なるもの永遠を感じさせるものである。

従って、その神を迎えるための
依り代よりしろ(招き代)となるものは、常緑の
葉をもつさかきや松などを用いるのである。

このことの微妙な違いを
心で受け止めて、年中行事の
風俗のなかに溶け込ませているのが、
我々日本人の特性というものである。

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