正月準備と母の思い出

こんにちは、湯豆腐です。

子どもの頃の一年は長かった。それが年齢・年代が上がるにつれて毎年のことながら、一年が驚くほど短く感じるようになった。年の瀬が近づくと毎年のように同じ思いを繰り返しながら、正月を迎える為の準備をするのであるが、近年になって年末の風景が随分と様変わりしたものだとつくづく感じさせられる。

私が幼い子どもだった頃の年末の風景は、天気の良い日には其処かしこの民家において、煤払いという大掃除がおこなわれているのを見かけたものだが、最近ではほとんど見かけることがない。これらの事は地方によって差異もあると思われるが、正月に備えての餅つきの風景も今では殆ど見かけることがない。

子どもだった頃に、餅つきをする日は他には比べようのない、とても楽しく嬉しい日であった。父親が臼に向かって、一振り一振り正確に杵を振り下ろす姿。母親が臼のそばで、手に水を用いながら臼の中の餅の具合を調える姿。家の中の広間では、祖母や手伝い来てくれた近所の人達が、搗き上がった餅に白い粉をまぶしながら、忙しそうに餅の形を調えている。鏡餅で神様に供えるものは、白餅で丸く中高の形で大と小の重ね餅、玄関などの飾り餅は紅白で、上段が紅餅下段は白餅の重ね餅だった。

そして、注連縄(しめなわ)や松飾りも手づくりだった。藁を綯う縄も、平素の荷造りや農作業に使われる物は右綯いされているので、神事や正月飾りの物はわざわざ左綯いにする。その他にも、ゆずり葉や裏白シダを用いて正月を迎える準備をしていた。

その頃に、母親や祖母が教えてくれたことは、「正月の門松や松飾りは、この家は正月の神様(歳神さま)をお迎えする準備が調っています。という目印(標識)の為にするものだよ」。これらの言葉は今でも鮮明に心に残っている。そして、「昔は奥の部屋を、一部屋全部を神様の部屋にしていたけど、今は、あなた達子どもが居るから、それは神様も解ってくれるのよ」。更には、「お正月の間は、この家の中に神様が一緒に居るのだから、神様が厭がることはしてはいけません」。

私が、「神様はこの家に何をしに来るの?」母親は、「神様は、家族の皆に年(年齢)をくれる為に来るんだよ」。 そしてその時、『数え年』というものを教えてくれた。 それから母親は次のようなことも言った。「世の中で神様が一番偉いのよ。学校の先生も、神様に𠮟られるようなことはしないのよ。だから、学校の先生は子供達の為に、日頃は神様の代わりになって色々と注意をしてくれるのよ」。

今になって考えてみると、この時“ぼくも学校の先生になろう“と、心に芽生えたのだと思われる。

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