天神信仰について。なぜ学問の神、菅原道真は天神様と言われるのか

現代において、「天神信仰てんじんしんこう」と言えば学問の神様として親しまれているが、そもそもは日本の神道に、「天の神」という古い神観念が存在したのである。

天津神

天の神とは、大昔の日本の民族的信仰に基づく神道の信仰で、 天津神あまつかみ 国津神くにつかみと表現するものである。 これは、八百萬やおよろずの神々を天地の意識によって分けた観念であり、更には、皇室の祖神である天照大御神と、臣下の系統という観念によって分けられた概念である。

天より降臨した神、国土から生まれた神

この二つの大きな分け方を総称して、「天神地祇てんしんちぎ」という。

もともと、天神(天津神)とは天より降臨した神で、地祇(国津神)とは国土から生まれた神という意味である。

従って、現代に於いて天神様として親しまれている、菅原道真の霊を祀ったものは天津神と混同されたものである。そして、天から降臨して来たわけでもないのに、何故に天神と呼ばれるように至ったかは、何と言っても道真の怨霊が激烈であった事と、当時の摂関政治で独占的な権力を振るっていた藤原氏や、皇居の内に病死者が急増したり、更には落雷も加わって道真の祟りであると恐れられた。

それらの「御霊信仰」や「雷神信仰」とも結び付いて、次第に天神の列座に混同されて行ったと考えられる。

御霊信仰

御霊信仰とは、怨霊の活動によって疫病が流行すると恐れられた信仰形態で、特に奈良時代の末から平安時代にかけて、貴族の対立抗争の為に失脚した権力者の霊魂が、祟ると信じられたことに依るものである。

また雷神信仰とは、古くからの伝承に賀茂別雷神があり全国的に分布しているが、元々は古来からの伝説に見られるように、雷は蛇の形を示し又は童子の姿で表されていた。

そして、水神としての性格や託宣神としての性格が消失して、次第に御霊化してゆき落雷その他の祟りに際して、雷公祭などが行われるようになった。そうして、いつしか雷神信仰は天神信仰に統合されたと考えられる。