古くから「名は体を表す」と言い伝えられ、諺にもなっているのであるが近年に至っては、その諺は現実に適合しない状況になっている。
名が体を表す理由
そもそも人名というものは、親の特権を以って生まれた子どもに名付けをするので、それは完全に一方的な行為であり、生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、人権を踏みにじられる事に他ならぬ現実なのである。
しかし、親なら誰しも我が子の名付けをするには、最良・最高の名を選んでやりたい、しかも、その名の通り立派に育って欲しいと、切実な願いを込めて命名をするのである。 そこには、親が自分の人生を嚙み締めながら、生まれた子どもの為に最も大切だと切望するするものを、たった二文字か三文字に託すのであるから、真剣にならざるを得ない実情がある。
例えば親である人が生まれながらにして、健康上に心配なものを抱えていた場合には、生まれた我が子に望むのは名誉や豊かさよりも、何より大切なのは健康が一番だと希う気持ちから、男の子には「健一」とか「健司」という名を選ぶのが人情である。そして、そのように育てるから「名は体を表す」ことになるのであるが、その上更に、名付け通りの幸せを裏付けたい親心から、姓名判断などに頼るのである。
姓名判断の根拠は何も無い
その姓名判断も、文字の画数に依る吉凶の判断をするものと、陰陽五行説に依って判断するものと種々であるが、一般に書籍として販売しているものには、出版物の違いによって姓名判断が異なる物も見受けられた。 結局のところ、文字の画数や陰陽五行説などで人の一生が左右されたり、人生の禍福が決定される根拠は何も無いのであるが、それでも、親なら我が子の為に無難を欣求するのは、人間としての本能であり日本人の民族性というものである。
我々日本人は、はっきりしない事や良く解らない事には、取り敢えずやるだけやっておけば、何もせずに居るよりは気が安まるという考え方を持つのである。
日本人の特性も変化を見せている
しかしながら、その日本人の特性も時代の流れによって変化を見せている。 それは近年になって、「キラキラネーム」という時勢を迎えていることである。キラキラネームによって当て字あて読みが氾濫しており、それはキラキラ度を競った一種の流行であり、これもまた、親の一方的な特権によって為される命名なのである。
将来その子が成長した時、自分の名を誉れに思うか否かは、その時が来てみなければ分からないことである。キラキラネームに不都合を抱いた時には、改名の道は残されてはいるが、その場合には家庭裁判所に申し立てをして審判を仰ぐことになる。しかし、それには「正当な事由」が必要となる。正当な事由とは、改名をしなければ社会生活において支障をきたす場合をいい、単なる個人的な趣味や感情、或いは信仰上の希望等だけでは足りないとされている。つまり改名手続きには結構困難が伴うものである。
お節介ではあるが、、
できれば改名はしたくないのが人情だと思われるが、今後は改名希望者が増えて来ることも予想される。流行というものは付和雷同的なものであり、従って、それが廃れる時の流れも早いものである。時代の変化によって、次に現れる名付けの観念はどの様なものになるのだろうか。 お節介ではあるが、日本語での名付けには文字の語意だけは、しっかりと掴んだ選名をされますことをお勧めします。
天空の城ユドウフ