人生とは出会いである。本当に良い出会いというものは、尊重し認め合い尊敬できる信頼関係が自然と築かれて行くものである。

こんばんは、湯豆腐です。

人生とは出会いである。そして、人生における出会いに卒業は無い。 人との出会い、体験との出会い、偶然との出会い、それぞれの出会いに卒業というものは存在しない。つまり、向上心には卒業は無いことになるのだ。

良い出会いを希い更なる向上を求むるなら、ひたすら自分を磨くことに努めれば良い。 なぜなら、誰しも良い出会いを切望しているから、自分よりも劣っている人より、自分と切磋琢磨できる良き相手を捜し求めているのだ。 換言すれば、自分が向上する為には自分よりも同レベル以上の、己を磨いた人を見つけようとして、数多の出会いの中から自分にとって、適宜であるか不適なものか選別に努めているのだ。つまり、出会いは決して偶然によるものではなく、出会うべくして出会う必然性の強いものと言えるのだ。

しかし、まだこれだけで油断してはならない。世の中には、運・不運というものが存在するのだ。悪い意味での「能ある鷹は爪を隠す」人が居るのだ。これは人柄の善し悪し人間性の問題なのだ。 折角自分と同レベル以上の人物だと見定めても、人柄の良し悪しは又別のレベルに属するので、悪いのに出くわした場合は不運な結果となる。勿論この場合にはサッサと見切りを付ければ良いのだが、これがなかなか尻尾を出さない曲者で、老獪なタヌキの場合が本当に不運なのだ。

本当に良い出会いというものは、お互いの人格を尊重し認め合い、お互いに尊敬できる信頼関係が、自然と築かれて行くものである。