神道における葬儀、神葬祭。仏教が伝来する前ではどのような葬送が行われていたか。

こんばんは、湯豆腐です。

現代に於いては、日本人の大部分に相当する人達が、葬式は仏教式というのが一般的であろう。 しかし、この仏式に対して神式と呼ばれる、神葬祭が存在するのをご存知だろうか。 この神道における葬儀、神葬祭についてはあまり一般的ではないので、段階的にお話したいと思います。

変化する葬送観

近年になって日本人の葬送観に変化が生じ始めている。 実際に執り行われる葬儀自体にも変化が現れている。これまで永々として行われて来た日本の葬式には、風習とは別ものの見栄や世間体が強く意識され、高額な金額を余儀なくされるものであったが、段々と見栄や因習の部分からは、解放されようとする傾向が見受けられ、埋葬についても、必ずしも墓碑を必要としない考え方も広がりを感じさせている。

日本における葬送儀礼

日本の葬送儀礼に関する風習には、様々な歴史的背景が存在するもので、かなり昔の、まだ村制度だった時代に於いても、死というものは、人間にとって避けることのできない厳然たる事実であって、近親者のみならず民族にとっても深刻な問題であった。 故に、村制裁としての村八分が行われていた時代でも、葬式と火事だけは残りの二分に属するものとして、村が協力してやるというものであった。それほどに葬送というものは重要視されるものであった。

神道という言葉や観念の成り立ち

先ず最初に神道という言葉であるが、日本に仏教が伝来して来たことで、これに対応するために、神道という言葉や観念が必要となっていったのである。 仏教の影響といえば、仏像や仏典そして仏教建築などあらゆる物が、当時の民衆にとっては強い驚きを与えるものであった故、これに対抗せざるを得ない状況に追い込まれて、神社という社殿形式や、日本書紀や古事記と関連づけて神道の成り立ちを形容したり、最終的には神像というものまで造り出されたのである。

神道の思想における死

神道の根本的な思想には、死は不吉なもの凶なるものとして、これらに関わることは穢れであり、不浄なものとして遠ざけるべきものとして来た一面を有している。 神道にとって、死に関することは生の対極にある最も忌まわしいもので、死後の世界は、現世(うつしよ・うつそみ) に対極する幽世(かくりよ)であり、黄泉の国なのである。 従って神道では清浄な神域内において、葬送に携わることは極力避けて来たのである。 そこに、仏教というものが伝来して、仏教が日本に根付く方法として、神道が忌避している死後の世界を担当したのである。 これにより、日本仏教は別名を葬式仏教と呼ばれるものとなり、現代に於いても多くの日本人が、仏式と呼ばれる葬法に馴染んできた由来である。

また歴史的背景には、江戸時代にキリスト教を禁止するために行われた、江戸幕府による寺請制度も大きく影響している。これによって、一般の人々は寺請証文によって決められた、檀家寺に所属しなければならなくなった。 その後、神葬祭が自由に行えるようになるには、明治元年の神仏分離令まで待たねばならなかった。

神葬祭と祖先崇拝、氏神信仰

神道の神葬祭には、仏教でいう戒名や戒名料というものは存在しない。 神道では、人が死を迎えて故人となると、亡き人の帰るべき行先は祖先の「みたま」祖神(おやがみ)の元であり、祖神の霊力によって導き守ってもらうのである。 この死生観が、古来からの日本における祖先を大切にする、祖先崇拝の信仰形態なのである。 そして、代々の祖先の「みたま」は家族や親族に偲ばれつつ祀られて、相当の年月を経過した後は祖神の列に浄化して、現世に遺している家族や親族たちの守護神として、末永く導き守ってくれるものであり、これが日本の氏神信仰に繋がるものである。

神葬祭の作法

次に、神葬祭での作法についてお話します。 神道では、葬儀であっても玉串を捧げて、二礼二拍手一礼の作法で拝礼をします。しかし葬儀は吉祭ではないので、できるだけ優しく緩やかな動作を心掛けることが大切です。 拝礼の仕方も活発な動作ではなく、心を込めて少しゆっくりしたお辞儀をするのが良い。拍手をする時もやさしく手を合わせる程度で、音が立たないようにして両手を打つ、これを「忍び手」と言います。音を立てない拍手は、悲しみの為慎む心を表しているのです。 この忍び手による拝礼は、五十日祭が終わるまで行います。

そして、五十日祭をもって忌明けとなるので、その後の拝礼は平常に戻って、拍手も爽やかな音色の二拍手を行なうことになります。 五十日祭の後は百日祭を行い、その後は一年ごとに年祭を行い、五年祭の終了後は五年毎か十年毎に年祭を行って、五十年祭まで続けることが望ましいのです。

神葬における墓碑

神葬においても墓碑は建立しますが、墓所のことを奥津城(おくつき)と呼び、仏壇のことを御霊舎(みたまや)と呼びます。御霊舎には霊璽(れいじ)と云う御霊代を祀って、平素の礼拝を行います。霊璽とは仏式の位牌のことです。 お供え物は、生存する人間が食する物と同様で良いのです。

神葬祭についてのあらましをお話しましたが、仏教が伝来する前の日本では、どのような葬送が行われていたであろうか。 それが、永い年月の変遷を経てどのように変化して来たのか、そして今、改めて時宜に適した死生観を求めることは、日本の葬送文化を後世に伝え遺すものであり、「温故知新」原点に立ち返って考えてみることが良いと思います。