神社と寺の見分けかた。お参りの鈴は遠慮がちに鳴らす方が品が良いというものである。

こんばんは、湯豆腐です。

現代の日本の風景で、大都会は高層ビルが林立しているが、地方に行けば田園風景が見受けられ、その中に至る所で鳥居の姿を見ることができる。

それが道路に立っているなら、そこは参道ということで神社へ向かう道なのである。

地図でも神社は鳥居で表わされる…が。

鳥居の写真

国土交通省・国土地理院の定める地図記号にも、鳥居は神社の所在を表わす建物記号になっている。 因みに地図記号には、建物の種類を表わす「建物記号」と、植生の状態を示す「植生記号」などがある。 これは地図を説明する為の記号で、建物は市町村役場・神社・寺院・学校・工場等、植生では田・畑・果樹園・広葉樹・針葉樹等である。 地図記号は地物の形を上から眺めた形や、横から眺めた形を記号化したもので、それぞれを象徴するものとなっている。

鳥居を神社の象徴としたのは「当を得た」と言えるが、中には稀に寺院でも鳥居があるところがある。それはかつて神仏習合が行われた名残りである。このように数は少ないが鳥居があるからと言って、必ずしも神社だとは断定できない場合がある。

千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)

これに対して、神社の建物の屋根に千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)があれば、正しく神社と断定することができる。千木とは、屋根の上両端に突き出ている、二本の交差した形状のものであり、鰹木とは、千木と千木との間に棟木をわたし、その上に並んでいる鰹節の形をしたものである。 千木と鰹木の写真 いずれも現代では装飾化したものとなっているが、元々は建物の原始的な形状の名残りと思われる。この神社建築特有の千木と鰹木も、京都の神社建築には存在しないものも多い。 それは時代的な背景によるもので、神仏習合時代のように、仏教の影響が大きい時代に建立されたものには、千木鰹木が存在しない場合が多いのである。

そして、装飾化した千木・鰹木にも意味があり、千木の先端部分が天に向かって尖っているものと、平たくなっているものとがあり、鰹木もその数が奇数と偶数との両方がある。 先端が平たくなった千木の写真 千木の先端が尖っており鰹木が奇数の場合は、祀られている主祭神が男神であり、逆に、千木の先端が平たく鰹木が偶数の場合は女神である。

手水舎

さて、鳥居をくぐり社殿に近づくと先ず最初に手水舎がある。これは、「てみずや」或いは「ちょうずや」と呼ばれるもので、参拝に備えて手を洗い口を漱ぐのであるが、単に手を洗うのでなく、身心を清める為のものである。 このことは手水舎のうちに置かれている水盤に、「洗心」と刻されたものが多く見受けられることからも推察されるものである。

大きな鈴の音

鈴の写真

手水を済ませて愈々参拝であるが、賽銭箱の真上辺りに大きな鈴が吊られており、その鈴を鳴らす為に太めの綱に繋がっている。 この綱を曳いて鈴を鳴らしてから礼拝するのであるが、鈴は鳴らしても鳴らさなくてもどちらでも良いのだ。

神社には鈴の音と縁の深いものが多く存在するが、代表的のものは巫女が神前で舞う神楽で、扇や鈴を持って舞うものがあり、鈴を振った時の清々しい音色が尊ばれるものである。 拝殿前に吊られている鈴は自分が参拝に訪れたことを、神様にお知らせする為のもので、言わば、他家を訪問した折に「御免下さい」と呼び掛けたり、チャイムを押したりするのと同じであるから、むしろ、遠慮がちに鳴らす方が品が良いというものである。