初詣とお盆とクリスマス。日本人の身勝手な宗教観と、悪い神も良い神も沢山の神様に祈りを捧げる多神教の意味。

こんばんは、湯豆腐です。

今日は我々日本人の宗教感と信仰心のお話を。

困ったときの神頼み

日本人の宗教観と信仰心と言えば、堅いテーマのように聞こえるかも知れないが、 現代では誰もが気軽に海外旅行に出かけたり、 また、海外からの外国人が大勢やって来るグローバル時代にあっては、 今一度考えてみるべき問題である。

合格祈願の絵馬

我々日本人は、困った時の神頼みと言うが、受験を迎えた受験生やその家族らが、 念願通りの志望校へ合格したい、合格させてやりたい。 その切実な思いから様々な形で祈願をする。 神様に合格祈願をしたから、後は寝て待つと言うのではなく、 受験勉強は全力を尽くして頑張ってみる。

しかし、合格までには色々な運・不運が待ち構えている。 それらの事を総合して、見事に合格を手にする幸運を与えて欲しい。 それが受験生にとっての本当の春である。

「一生に一度のお願いです 神様 私の願いを叶えて下さい」 これが我々日本人の一般的な姿であろう。

一神教から見た日本

ところが我々日本人は、受験という事態を迎えるまでの常日頃は、 これと言って神頼みはせず、 また、常日頃から敬虔な信仰を続けて来た訳ではない。 言わば己の都合で俄かに自分の願いを叶えて欲しい。 一生に一度のお願いです。と身勝手放題の事を願うのである。

このことは、外国のイスラム教徒の信仰心と比較してみると明らかである。 イスラム民族は毎日欠かす事なく、決まった時刻には必ず神様の礼拝を行う。 食べてはいけない豚肉は食べない等、厳しい掟をまもり、常日頃から敬虔な信仰心を持ち続けている。 これが、ーっの神のみを信仰する一神教民族の姿である。

一神教の彼らから見れば、日本人の身勝手を極める宗教観は、 理解不能にて神の冒漬と捕らえられているだろう。

日本人の多神教

では、我々日本人の多神教とはどんなものなのか、何故多神教なのか? 身勝手な神頼みをしても、心の疚しさを感じないのは何故なのか? これは考えてみる価値があるだろう。 我々日本人は、正月が来ると当然のように初詣に行く。 日頃は参詣などしないのに、初詣だけ行っても良いと感じている。

そして、お盆が来ると帰省ラッシュに耐えて実家に帰り、仏教的なお盆行事に従う。 また、クリスマスには信仰心など関係なく、 子どもに喜びと楽しみを与えるために、サンタクロースの真似をする。 それでも心に疚しさは感じない。

自然災害への脅威

そもそも我々日本人は農耕民族であった故、 農作物・特に稲作中心の生活で、 最も怖ろしいものが自然災害であった。 この為、自然災害の驚異から守られたい。 それこそが豊かな収穫に繋がり、生活が保たれる基本であった。 故に、自然の驚異と脅威に対して、神が宿るとして崇め祀るのであった。

棚田の写真

しかも、自然災害から守護してくれる加護伸と、 疫病など災難をもたらす厄神との双方に、 ご機嫌取りの祭りを行い、自然神として崇め祀って来たのである。

つまり、悪い神も良い神も、その他の沢山の神様に祈りを捧げる。 それこそが平穏無事の基であり、多神教の意味である。 そして目出度く収穫を得た時には、神様に感謝の気持ちを捧げる。

常日頃は寸暇を惜しんで労働に精を出し、 必要に応じて農耕儀礼を行い神祭りを行う。

神様に感謝の祈りを捧げるために、身勝手な願望も祈念して良いと考える。 これが、日本人の宗教観と信仰心だと言えるであろう。