こんばんは、湯豆腐です。
いま学童保育現場では、少子化社会への過剰反応による弊害を抱えている。
庭でトマトづくり
私は庭の一部分に手を加えて菜園にしている。広さは延べ面積で8畳分位の小さなものであるが、それでも結構楽しめている。
今の季節、夏野菜ではトマトづくりが最も好きである。4月中旬頃から5月にかけて、園芸店で苗木を買って来て植え付けるのであるが、年によっては5月の連休付近で寒の戻りがあると、その寒さの為に植え付けた苗木が、しばしば全滅することがある。とにかくトマトは寒さにめっぽう弱いのだ。その難関を通り過ごせば日に日に生長して、黄色い花が咲き青い小さな実が育ち始める。その育って行く様子を見ながら、余分な脇芽を摘み取ったり、上に上にと真っ直ぐ育つように、補正してやるのが楽しみなのである。 そして最終的には,無農薬かつ自然農法的に栽培したトマトの赤い実を、食卓で楽しめるのが醍醐味なのである。
子を育てる
育てる楽しみと言えば子育ても同じである。しかし、子育ての場合は育てる苦労、育てる義務と責任は切っても切れない重要事項であり、いささか野菜づくりとは趣が異なってくるが、育てることの楽しみは同じである。 そして、我が子を育てる楽しみのなかには、ややもすると、親の期待通りに育ってほしいと願う親心が強すぎて、子どもにとっては、それが重荷になっていることがある。 ところが、そんな時でも子どもは表現力が未熟な為に、ただ単に反抗という形でしか、自分の気持ちを表わすことができない。その様な状態からは、次第に親子の会話が疎遠になって行き、親子ともども知らず知らずのうちに、「自分の気持ちを解ってくれない」という悪循環に陥ってしまうことがある。現に私自身も子育て真っ最中の頃に、その坩堝に嵌っていたように思われる。
少子化社会への社会の過剰反応
今、日本の現況は周知のごとく少子化社会である。そして、このことが保育園待機児童問題や、幼児教育・保育の無償化が全面的に決定されたことと相俟って、社会が過剰反応を呈している。それに伴って子どもは理解力が未熟な為に、自分たち子どもは大切な存在として、社会から特別扱いを受けていると解釈し、自分たち子どもが全ての中心であって、 周囲の大人たちは、自分たち子どもの為に存在するものだと、解釈しているふしが感じられる。これが現在の学童保育現場において、痛感させられる実状なのである。
障害を持つ子ども達の自立支援と、過剰反応の合併症
そして、この異常現象とも言うべき現状は大きな弊害を抱えている。 今、学童保育の現場には、発達障害を抱える子どもが驚くほど多く存在している。言葉では一括りに発達障害と呼んでいるが、その内容は、身体的障害・知的障害・学習障害・自閉症スペクトラム障害・注意欠陥多動性障害・言語(コミュニケーション)障害・発達性協調運動障害・心理的発達障害など多岐にわたっている。
これらの障害を持つ子ども達を分け隔てなく、自立及び社会参加の支援を行っていくのが学童保育であるが、その上、世間の過剰な風評によって、「少子化社会での子どもは大切にされるのが当然だ」という合併症まで併発すると、益々子供たちのやる気を起こさせることが困難になってしまうのだ。
10歳前後の子どもにとっては、全ての規範の中心になるのは自分の母親である。それが10歳前後の子どもの本能でもある。その全ての規範である母親が、「今の日本は、あなたたち子どもが一番大切なのよ」「あなたたちの為に学童保育があるのよ」。そうすると子どもは、ママが言っていたから、何をやってもいいのだ。勘違いしてそう思い込んでしまうのだ。
天空の城ユドウフ