こんばんは、湯豆腐です。
今日はふるさと納税と、それへの不公平性の指摘の話を。
平等と公平
「平等であるべき」、「公平でなければならない」と言われるのを良く耳にするが、この平等と公平は似て非なるものであり、また、完全な平等や公平は存在したためしが無い。 換言すれば、不平等や不公平だらけの社会ということになる。
学年制の不平等
先ず第一に、小学校の学年制に不平等の原型があると言わねばならない。 4月生まれの子と3月生まれの子では、最小でも10ヶ月の成長期間の差異があるので、殊に小学1年生にとってはこの差は大きい。 それは運動会をやってみると歴然とする。徒競走をやれば、早く生まれて早く育った4月生まれは、体格も体力も勝っているから走る力も勝っている。これに対して、3月生まれは完全に後手をとっている。つまり、これは初めから不平等なのである。
なかには、その体力差を考慮してのことか、事前に個々人の走る力を比較して、本番の運動会では、同じ程度の子供同志で走らせる、と言う方法も聞いたことがある。 しかし、これでは面白くない。見る方も面白くないが、子ども自身もやる気が起こらないのだ。とかく、走ることが得意な子は勉強の方は苦手な子が多く、日頃の勉強で抱え込んだ鬱憤を運動会で晴らすのだ。それなのに、その絶好の機会を奪われて面白いはずがない。
五十音順の不公平
そして第二番目には、何かの順位を決めるのに、さも公平であるかの如く五十音順というものがある。これは古くから定着していることであるが、これ程不公平なものな無い。 そもそも五十音順なら公平だという、その考え方そのものが不公平なのだ。
五十音の最初の方と最後の方は、それぞれに何かと悲劇があるのだ。 五十音の前の方に属するから、嫌なことでも最初にやらなければならず、いつも最初の実験台にされているのである。又これとは逆に五十音が後ろの方に属するから、いつも長い間待たされて、もう皆が飽きた頃に自分の順番がやって来る。これには屈辱を感じるのだ。
天空の城ユドウフ