「大安吉日」と「屁の突っ張り」

こんばんは、湯豆腐です。

「屁の突っ張りにもならぬ」という言葉

「屁の突っ張りにもならぬ」という言葉をご存知だろうか。 下品な言葉であるが、これが歴とした日本語の故事ことわざに入っているのである。 屁は説明するまでもなく下品そのもので、しかも化学兵器とも言うべき有害なものである。 突っ張りは、何か不安定なものを支える為の柱や棒のことで、こちらは役に立つ有益なものである。でも「屁の突っ張りにもならぬ」となると、これは何の役にも立たないという意味になる。

大安吉日という日柄

ところで、屁の突っ張りにもならぬものに、恰も立派な日本の文化であるかのように、後生大事にこだわっているものがある。それは、大安吉日という日柄のことである。 常日頃は露ほども気には留めていないのに、結婚式や特別な祝い事を迎えることになると、俄かに信心深くなって、良い日柄を選ばなければならぬと暦本をめくり始める。これが、日本人特有の民族性なのである。

慶事を行うには、「お日柄もよろしく、今日の吉き日に・・・」というように、細心の注意を払って晴れの慶事を行わなければならない。 例えば、新築の家を建てる際には、地鎮祭という日本古来の清め祓いをしなかった場合、後々になって不幸なこと不運なことが発生すると、あの時、地鎮祭をしなかったから、このような良くない事が起こるのだ。そのように考えるのが日本人という民族なのである。 つまり慶事に当たっては、万全を期すことが当然の心得なのであり、それは決して無駄なことではなく、たとえ無駄であっても、念には念を入れることは美徳なのである。 だからと言って大安を選べば吉日というのは、屁の突っ張りにもならぬ事なのである。

六曜

先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口という六曜は、そもそも中国で始まった、暦の中での日の数え方に過ぎないが、日本では古くから日の数え方には、十二支を使用して来たのである。それにも拘わらず、六曜の方が日常的に定着して使われているのは、カレンダーや手帳に記載されているからである。 そしてもう一つの理由は、大安とか友引という文字が持っている連想される意味が、日本人にとって馴染みやすいものであったからである。

日本古来の吉日良辰

日本古来の吉日良辰の選び方で、妊婦の帯祝いは大安を選ぶのではなく、戌の日を選んでお祝いをする。これは犬の産が軽いことから、これにあやかることを目的とした日柄の選び方である。また、実際には何ら根拠はないのであるが、土用の丑の日に鰻を食べるのも、十二支から選んだ日柄で六曜とは関係がない。関係があるのは、商人のしたたかな販売戦略で、恰も、この日に鰻を食べれば効果てきめんと思い込んでいる。 要するに、日本における吉日の選び方で基軸となるのは、六曜ではなく縁起の良い日ということである。縁起が良いとは、多種多様な方面から連想して、良い意味が多数のものほど最良となる。

都合が良ければ何でも御座れの民族性

また日本人という民族は、都合が良ければ何でも御座れの民族性を有しているのだ。 日本人の願掛けで、神社の特性認識が如実な例である。 学問に関する願掛けなら天満宮。これは、祀られている神さまが菅原道真公であるから、向学の人物らしいと連想される。繫盛・繫栄を願掛けするなら稲荷神社。これは、稲が成るとか稲が生ると連想されて、何だか豊かなものが感じられる。 しかし、これらのことは民衆が勝手に連想して、勝手に特質特性を植え付けたもので、本来の特質特性とは全く異なるものである。 そして又、民衆がそのように連想するであろうことを予測して、これを利用しているふしも存在しているのである。

詰まるところ、大安だの友引だのは無意無用なもので、屁の突っ張りにもならぬものなのである。

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