こんばんは、湯豆腐です。
今日は日本の神道における、「最善」のお話を。
あるがままの自然の姿
自然のままの自然界は美しい。しかし、人間の生活を安全に保障するためには、氾濫する河川の護岸補強や、浸食する海岸の防潮堤補強は必要不可欠である。 動植物の生態もあるがままに自然の姿が望ましい。しかし、農作物に著しい被害を及ぼす猿や鹿そして猪など、更には人命をも危険に陥れる熊や毒蛇、そしてスズメ蜂などの駆除は止むを得ないものとなる。
因果応報的な異変
これまでに人間は自然災害に対して、人知を尽くして立ち向かって来たが、自然現象の異変や猛威に対しては、全くと言うほど無力のままである。 しかも、良く良く考えてみると自然現象に異変が起こるのは、人間が、環境破壊の原因を一方的にまき散らすばかりで、一向に反省や自重することも無く、言うなれば人間の驕りがもたらした、因果応報的な異変のように思われる。 それは、地球温暖化現象や宇宙ゴミの増大などである。
自然現象でさえ、人間界の事さえも
人間は地球上の自然現象でさえ、ひとたび荒れ狂った猛威が発生すると、何ら為す術も無くひたすら鎮まるのを待つだけである。 それなのに宇宙まで支配しようとして、数多の宇宙ゴミを増大させているのは、傲慢というものではないか。
人間は、人間界の事さえも満足には制御できてはいない。人間は地球上の霊長類として君臨しているが、人間界の目には見えない領域である、宗教という形而上の場面に於いて、イスラム過激派やイスラム国と名乗る輩のテロ行為は、その根底に潜む宗教観には、到底霊長類とは思えない卑劣さを極めるもので、極悪非道としか言いようが無いものである。
「誠の道」を踏み行う
しかし、日本には古来からの神道という民族宗教がある。神道には教義も教典も存在しないが、古くから、「誠の道」を踏み行うことを最善として来た神道である。 「誠は天の道なり、之を思うは人の道なり」この言葉の要約は、(誠は天の自然の道理であり、人がこれに鑑みて自身を誠実にしようと思うのは、人の人たる道である。)つまり人道を正しく踏み行えと言っているのである。 そして、神の加護を願うなら見返りを求める信仰でなく、「心だに誠の道に叶いなば、祈らずとても神や守らん」この言葉の要約は(心さえ正道を外れていなければ、ことさらに神を祈らなくても、おのずから神の加護はあるものである。)つまり、心から人道を踏み誤ることなく、清く正しく生きているなら、神は必ず加護を与えてくれる。まさに、生かされて生きるのである。
天空の城ユドウフ