言葉のあや

こんばんは、湯豆腐です。

今日は謙虚とその美徳、言葉のあやについてのお話を。

外国語へのコンプレックス

私たち日本人は、なぜか外国人(特に欧米人)に対して、できれば関わりになりたくないと感じるものがある。それは何故なのか?その根底にあるものは、英語に対するコンプレックスのように思われる。なぜコンプレックスを感じるのか、それは学校教育で習ったものでは、とうてい役に立たないと自覚しているからである。 勿論、これには個人差があり年齢層によっても差異があるが、年齢層が上がれば上がるほど、英会話を苦手としている傾向が強いようである。

謙譲語の誤りと自虐

そしてまた私たち日本人は、自国語である日本語の使い方についても、特に敬語の使い方に強い意識を抱いている。言葉遣いひとつで謙虚な人柄として、円滑な人間関係が築かれるものであるから、へりくだった言動は美徳なりと認識している。

ところが、この謙虚や謙遜によって、自虐的な心持ちに陥ってしまうことがある。 それは自らそうするのではなく、意に反して否応なしに陥ってしまうのである。その原因として、よく見受けられる例としては、謙譲語としての言葉の選び方の誤りである。 しかも厄介なことに、この謙遜語の場合は言い間違えたからと、言い直すことはできないのである。

謙遜の致命的な急所

例えば、相手から「お忙しいところ、ご親切にお世話頂きまして有難うございます」と言われた時、これが社交辞令的に、よどみなく言ってくれたのだったら、こちらも返す言葉を、決まり文句で、よどみなく返せたのであるが、余りにも心のこもった言い方をされた時には、こちらも出来る限り相手に気を使わせまいとして、謙譲の言葉がへりくだり過ぎてしまう。そして、一旦へりくだり過ぎてからは言い直しは出来ないのが、謙遜の致命的な急所なのである。こうなってしまうと最早自虐の坩堝で、どう足掻いてみても元には戻れないのである。

難しいからこそ

日本語の言い回しは難しい。難しいからこそ上手に表現できれば、語彙の豊かな品の良い「言葉の文(あや)」となり、相手方も感じが良いと受け止めてくれることになるのである。

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