愉快なことをなぜ「面白い=面が白い」と表現するのか。日本の祭りの原形とお酒の関わり。

「面白い」という語句

「面白い」という語句は、辞書によると(一説に、目の前が明るくなる感じを表すのが原義で、目の前が広くひらける感じ。気持ちが晴れるようだ。愉快である。愉しく快い。)などとあるが、 愉快で楽しく笑える状況であるなら、人々の顔色は感情の興奮・昂揚によって、むしろ紅潮するはずであるのに紅いと表現せずに、「面が白い」と表現するのは何故なのか? これは不思議だ矛盾していると思いませんか。

明るい方へ顔を

これには、敢えて極端に古い譬えを挙げると、日本の神話に太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の石屋戸に籠ってしまった為に、世界は暗闇となって困り果て、 再び天照大御神の出現を祈願するのに、大勢の神々が集まって策を巡らし、それが叶った時に、暗闇の世界に光が差して皆の顔が照り明るくなって、晴れて快い気持ちになった。

つまり、「面白い」とは光の当たる明るい方へ顔を向けると、顔が白く浮かび上がる様子を表現している。

祭りの原形と面白さ

この天照大御神の出現祈願は、日本の祭りの原形である。祭りとは、服ふ(まつろう)ことの意を含み、神に従う姿を表現している。 そして、祭りには日本酒の存在が重要な役割を持っている。体質的に酒に酔えない人には気の毒であるが、人々は祭礼その他晴れの日には酒の力によって、尚更に愉快な心地になって喜び楽しむのである。

酒というものは、神祭りには欠くことのできないもので、神に供えた酒を祭りの終了後に、直会(なおらい)と言う共食共飲する喜びは、神との一体感を強くするもので、祭りの中核を為すものである。

そして、酒盛(さかもり)という言葉があるように、古くは、酒を飲むには集飲することが条件で、神と人とが相共に、一つの甕で醸された酒を相嘗(あいなめ)に与かり酔うことに、「面白さ」の源を為していると思われる。