言霊の幸はふ国

『ことば』(言語)というものは、
それぞれの国や民族を代表する
文明・文化そのものである。

ところが近年においては、
日本語のなかにカタカナ語が
数多く混入される傾向も相俟って、

日本語の乱れや語句の誤った使い方などが
数多く見受けられるようになって来た。

そしてまた、
日本語という言葉が持って
いる特性に曖昧というものがある。

それは、言語だけでなく日本文化を形成
しているあらゆるものに共通している。

例えば、
日本庭園の美しさについて
は、整然とした左右対称ではなく
調和という曖昧さが基になっている。

これを日本特有の
曖昧文化と言っても過言では
ないと思うが、大陸民族の外国人から
見れば誤解や難解を極めることだろう。

更なる日本語の特性には
語彙の多様性があるが、
おそらく世界中の言語のなか
で日本語が最も難しいものと思われる。

しかしそれらの特性を差し置いて、
日本の言葉について最も特筆すべきは
『言霊(ことだま)』という観念である。

重い物を動かす
には道具を使うと便利である。

梃子(てこ)の原理や転子(ころ)の
原理によって、台車を使えば
重い物でも楽に動かすことができる。

そのように、人の心をうごかす
には言葉が必要である。

人の心に感動を与え人の心を
揺り動かし琴線に触れる事ができる
のは、不思議な力を持った言葉である。

不思議な力を持っている言葉
とは、魂のこもった言葉であり
霊力のこもった言葉である。

そして、それらの魂のこもった言葉は、
表現の仕方や形而上のはたらきと相俟って
霊妙なはたらきを生み出すものである。

その『言霊』を象徴するものが、
日本古来の民族宗教で行なう
『日本のまつり』である。

日本の祭りは神への祈りであり、
その祈りのことばが『言霊』であり
『祝詞(のりと)』と称するものである。

我々日本民族にとって
『言霊』とは、祝詞を奏上する専門職の
者だけでなく、誰でも等しく言葉の力
を駆使することができるのである。

我が国日本は、
古くから『言霊の幸わう国』と
語り継ぎ言い伝えられて来た国である。

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